※この文章は、1999年4月1日ぶなの木出版発行の季刊誌『ひとびと』第75号に掲載されたものをウェブ用に加工しました。
(漢数字は数字に直してあります)


 

市民が学ぶ労働法問題 99年1月


武田 さち子
(三多摩「学校・職場のいじめ」ホットライン電話相談実行委員会)


1.労働法規全面改定の課題

1月30日、三多摩「学校・職場のいじめ」ホットラインが企画して、「何が変わるの?職場の法律、働き方!どうなる職場のいじめ!?」というタイトルの公開学習会を行った。講師は中央大学法学部の近藤昭雄教授。
近藤教授は、労働法の全面改定は戦後労働法制の崩壊であり、労働者の人間らしい生活というものが、もう一回否定されてしまうことになりかねないと、警鐘を鳴らす。

すでに、男女雇用機会均等法及び労働基準法の女性保護規定撤廃は、法律が成立し、本年(1999年)4月1日から施行。労働基準法関連規定は、1998年9月末、改正案が参議院を通過し、本年4月1日施行。新裁量労働制は、2000年4月1日から施行される。そして、労働者派遣法も現在、国会調停中。
労働法の何がどう変わって、私たちにどのような影響を与えるのか。改正の詳細については本誌ですでに、より専門的な方々から解説されているので割愛させていただく。
今回の改定が実に多岐に渉っているなかで、大きな流れと特徴について、ここでは取り上げたい。

経済論理のみが優先。
バブル経済の崩壊をきっかけに規制緩和論が浮上。能力主義、自由競争、選択肢の拡大の名目のもとに、不安定雇用の拡大と労働条件の劣悪化。
経済的な価値を生み出すものだけに価値が見いだされ、企業の基準にあった人間のみが優遇される。
労働時間制の崩壊。
新裁量労働制、変形労働制によって、きわめて変則的な長時間労働が可能になり、無制限の労働負担が強制される危険性。
かつ、残業手当や割り増し賃金が支払われないということは、労働者にとって実質的な収入減。企業にとっては人件費や労働者数の削減が可能。
労働者の生体リズムや生活を無視して、モノとして扱う動き。
人間を機械やモノと同様に昼夜別なく働かせ、繁忙期には長時間働かせ、閑散期には休ませる。
また、労働者を商品と同様に売り買いする動き。
法律改定は、労働省の黙認から始まって現状追認の形で合法化される。
法律が改正される以前に、現状がすでに進んでいる。
労働基準法には、一般原則に対する例外・特例が多い。やがて、労働者一般に適用拡大される。
労働者を分断する動き。
労働時間、休憩時間、立場、雇用形態をばらばらにしたり、競争を煽ることで、労働者の団結を阻み無力化する。
また、労使委員会が組合に成り代わって会社側と交渉したり提案する形態は、組合崩壊の危機を招くことに。
少子化のなかで女性労働力の活用は大きな課題。
女性労働者保護が撤廃され、一般原則が適用されるということは、単に女性が男性並になっただけではなく、今回の改正で男性の労働時間が青天井になってくる危険性のなかに、一緒にぶち込まれる状況。


2.労働者の課題

労働法改悪の問題は、労働者側にも責任の一端があると近藤教授は指摘する。
高度成長のなかで、日本人の価値観が外側から与えられた豊かな生活に向かって自分の生活を設計するライフパターンに変わってきた。出世やお金をいっぱい稼ぐのが成功者という価値観。派手さや物質的な豊かさを追求し、中味を問うてこなかったライフスタイルのツケが回ってきた。

労働者の意識の問題。
いくら法律の規定や適用があっても、サービス残業の横行のように、現場がしっかりしていないと無意味。
保身から安易に企業の言いなりになってきた労働者の意識・行動にも責任がある。
加害者になる危険性。
怖いのは、一般労働者が会社の論理を自分のものとして、企業と一緒になって加害者になること。会社にたてついたり、会社の論理とは異なる価値観をもっている者を異端者扱いし、障碍者や生産性の低いものを排除する動き。


3、労働法改悪に負けないために

たとえ今からでも、労働者ができることはなんだろう。
企業内市民社会の確立。
職場のことは労働者が主人公になるべきだ。労働者が職場のなかで、働かされる対象、機械の一部などではなく、生身の人間として、会社のなかで生活し生きていけるような職場環境をつくっていく必要がある。その為にも、まず、労働者側の論理にたった労働時間規制の獲得が必要。
そして、現実問題として、日本の労働者の8割が未組織という状況のなかでは、労働者の真の意思が反映できる労使委員会にできるかどうかが、今後の大きな課題。
また、女性労働者は、自分たちの立場を確立し、労働条件の問題も含めて、共生ということの職場の在り方はなんなのかということを認めさせていくこと。会社が規則をつくる前に、女性主体の反セクハラ憲章をつくり、男性にも会社側にも認めさせていく。
企業社会一辺倒の価値観に針穴をあけていく。
労働基準法というのは職場の問題であると同時に、職場の問題だけでないつながりを持っている。
職場や労働組合と関係ないところであっても、現実の社会のなかで、単一価値主義に抵抗していくことが同時に、職場に跳ね返ってくることでもある。
本当の豊かさとは何か、経済発展は何のためにあるのかを今一度問い直そう。法律をとやかく言う以前に、我々がどう生きるかという問題になる。

労働法規の改悪に関心をもって、それぞれの場所で、それぞれの役割を果たして、対応していってもらいたい。このようにして、針穴を空けていくしかない。市民レベルの運動に期待したい。


4、市民が労働法を学ぶことの意義

急遽、学習会の内容が決まったこともあり、残念ながら出席者は少なかったが、老若男女、さまざまな人びとが参加した。
近藤教授のユーモアあふれ、素人にもわかりやすく噛み砕いた話しのなかで、まず私自身が感じたのは、今まで労働法改正の問題をまるで労働組合の課題であって、自分たちとは関わりあいの薄いことのように捉えていたことへの苦い後悔と反省だった。

私たちは餌付けされたサルのように、与えられることに慣れすぎてしまった。憲法をはじめ、外圧から与えられた権利のうえに、あぐらをかいてきた。権利とは本来、自らの力で勝ち取るべきものなのに。
そして、少しでも難解なことを理解する努力を放棄し、他人と連携することの煩雑さを嫌い、すぐには変わらないことを変革しようとすることをあきらめてきた。楽な方へ、楽な方へと流され続けた結果が、今回の労働法の改悪であり、一旦は手に入れたささやかな権利さえ、いとも簡単に手放してしまった。

労働法改悪の大方はすでに成立してしまった。だからと言って、けっして終わりではない。あきらめてしまえば、事態はさらに悪い方へと流れるだろう。結果、そのツケを払わされるのは、子どもたちの世代だ。
私たちは人生の大半を職場で過ごす。会社の利益を生み出しているのは一人ひとりの労働だ。企業のみが繁栄して、そこで働くひとたちがモノ扱いされる。誰もが幸せになれない経済発展など必要ない。政財界の思惑に振り回されない自立した市民となって、今こそ職場を自分たちの手に取り戻したい。

法律が変わるということの意味を自覚し、無関心から流されてしまった結果に泣かないよう、これからも労働法の行方を見守りたい。自分たちの権利を侵すものに「ノー」とはっきり言えるためにも。

  




       
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